2015年5月8日金曜日

母のふたこと



 おかげさまで、母も元気にしております。
 ここを読んでくださっている方は、多分私の本の読者様でしょうから、どこかで読んだわねということになりましょうが、お許しください。一つに絞れなかったので、「ふたこと」です。
 その一
 私が大学に入った年に、母は念願の自分の幼稚園を持った。園長兼、経営者兼、事務職員兼、担任兼、掃除婦兼、庭師兼…。仕事は次々湧いてくるようで、いつもいつも忙しがっていた。若いころはまるまるとしていて、その後長年ふっくらしていたのに、気が付いたら5号体型になっていた。白いスラックスに赤いぺたんこ靴で、走って歩いていた。
子どもたちが誕生日を迎えると、手製の何かかわいらしいものを贈る。その年は、毛糸編みの猫だった。帰省した夜更かしの私が、もう寝ようとするのに、母は猫を編んでいて、やめる様子がない。子どもたち全員に、手編みの猫を一つずつだなんて、無謀もいいところだ。
私が「そこまでしなくちゃだめ?」と聞いたら、母は少しの間、黙り込んでからこう答えた。「ここまでするから、子どもが可愛くなるんだよ」。
 そうか。「悲しいから泣くのではない、泣くから悲しくなる」「楽しいから笑うのではない、笑うから楽しくなる」と同じ仕組みなのね。頂いたお金分だけはきっちり働きますよ、という義務感を越えて、そこまでやるかねという大変なことまで、あえて先にやってしまう。それを贈る子ども一人一人のことを思い浮かべながら。それによって、その子が可愛くなってくる。
 自分の子どもを持って、夫と二人で命がけで育てた。どんどん可愛くなって、かわいがればかわいがるほど、どんどんいい子になった。あの言葉はほんとだなあと実感した。学生時代の私に、それはわかりようもなかったことも理解した。

その二
 一組の夫婦が、子どものために使うことのできるお金は限られている。それを100とすれば、一人っ子は100使える。2人きょうだいなら50ずつ。345…と子どもの数が増えるにつれ、一人当たりにかけられるお金は、332520…と減っていく。そこは致し方ない。
しかし、愛情は違う。一人っ子を100とすれば、ふたりっ子ならちゃんと2人分もらえて2003人なら3人分もらえて300、4人なら400…と増えていくんだよ。
私に二人目が生まれたとき、母はそう言った。ほんとにそうだった。下の子も可愛いけれど、上の子へのいとおしさは、微塵も減らなかった。子どもたちへの愛情は、自分の手持ちからやりくりして、ちぎって小分けにして与えるのではなくて、子どもと一緒に天からぽこんと、ちょうど100だけ新たに授かる「頂き物」なので、節約も按分も全く要らないのだった。ありがたいことで、びっくりした。